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ホークスを長年支えるスラッガー。中でも長打力を最大の武器としていて2001年6月2日の福岡ドームでの西武戦では松坂大輔の145キロのストレートを打った際、バットのグリップ部分が折れたにも拘らず左手1本でバックスクリーン横へ推定130mのホームランとした。
また、ホームランバッターでありながら三振が少なく、シーズン100三振したことはない。特に2006年は37個と自己最少だった。選球眼も定評があり、一番多く獲得したタイトルは打点王と並び、最高出塁率を3回獲得している。
内角を捌くのが非常にうまく、引っ張った時の打球が右方向へのファウルになりにくい。松中曰く「打点をバットの芯より若干根元部分にずらして打つこと(で体があまり開かない)。芯で打つと打点と体の距離が長くなり、その分体が開く」とのこと。中居正広のインタビューを受けた際には体から30cmほどの距離に柱を立てた状態でそれに全く触れることなくフルスイングをして見せた。

強くてやわらかいリストを活かして広角に打ち分ける本塁打が最大の魅力の長距離ヒッターである。故障は多いが、プロ野球界でもきっての身体能力の高さを誇り、広い守備範囲と強肩にも定評がある。故障を気にしてか果敢な走塁は見られないものの、50mを5.6秒(5.57秒)で走る、球界屈指の俊足の持ち主でもある。このように身体能力は高いが故障の多さもありまだタイトルには恵まれていない。
入団当初より走攻守三拍子揃った選手と注目されていたものの、肝心なときに怪我をすることが多く、飛躍のきっかけを掴めなかった。それでも2003年に頭角を現し、2004年には40本塁打を放ちブレイクを果たした。この活躍は、「多少痛くても『痛い』と言わないこと」を覚えたのが最大の要因といわれる。その後横浜では中堅手、クリーンナップ(主に5番)として活躍した。
彼の怪我は野球の試合や練習中にとどまらず、ポスター撮影中にジャンプして右足関節を捻挫したり、プロ野球再編問題に伴うストライキの際に握手会で左掌の炎症を起こしたりしている。あまりの故障の多さからソフトバンク移籍後も、松中信彦がインタビューなどで多村の話題が出ると必ず「彼は怪我が多いので」と話しており、本人も移籍を機に意識改革を行った(それまではそれ程でもなかった走り込みを徹底して行い、下半身強化に努めたなど、インタビューで語っている)。
本人は外野守備や走塁・さらにファッションにもこだわりがあり、用具にも刻まれている「6TOOLS(6ツール)」は、メジャーリーグでよく言われる5TOOLS(5ツール=打率、本塁打、足、守備、肩)+ファッションを意味しており、公式サイト名にもなっている(当初は"S"が無く、「6TOOL」だった。)。 ただし、公式サイトによると、2009年よりファッションをメンタリティに変更した。
強肩と評価されることも多いが、本人曰く現在もボルトが埋まっているせいで100%の力では投げることはできず、送球はその分技術で補っている。
ファームで調整する時には若手の参考になるように考えてプレーをしている。ちなみにファームの投手はコントロールが安定しない投手が多く苦手にしている。

セットポジションからゆったりしたモーションで投球する、バランスのとれた投球フォームが特徴。その綺麗なフォームから、投手の手本として取り上げられることも多い。また、投球前に腕を上げて余分な力を抜く、投球時に膝の前で両手を叩き合わせて打者に軽い気持ちで投げているように見せて球をより速く見せるといった工夫もしている。武器は抜群の制球力により低めコーナーに決まるカーブや、スライダー、チェンジアップ、無回転のチェンジアップ、高めのストレート(最速は149km/h)。それらを駆使して三振を量産する。
プロ入り6年目まで成績の良いシーズンと悪いシーズンの差が顕著で、それが交互に訪れたため、「隔年投手」と呼ばれることがあった。本人もそれを気にしていたが、7年目の2008年に10勝を挙げ自身初の2年連続2桁勝利を達成。最多奪三振のタイトルも獲得し、その汚名を返上した。2009年には3年連続の2桁勝利(15勝)に加え、2年連続の最多奪三振と自身初の最優秀投手のタイトルも獲得した。
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